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れんらく帳

2023年7月 5日

平和を作り出す ~児童礼拝~

マタイによる福音書 5章44節

「しかし、わたしは言っておく。

 敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」

この日の児童礼拝担当は髙岸先生で、ある歌を聴くことから始まりました。

『~♪ ざわわ ざわわ ざわわ  ひろい さとうきびばたけは

    ざわわ ざわわ ざわわ  かぜが とおりぬけるだけ... ~♪』

髙岸先生は礼拝の中で沖縄に関連する話をしてくださいました。

・歌声は沖縄出身のテノール歌手新垣勉(あらがきつとむ)さんのものであり、「さとうきび畑」が沖縄であったことについての有名な歌であること。

・聖書の箇所は卒業生(現高校1年生で髙岸先生が6年担任をしていた)が沖縄修学旅行中の礼拝のために子どもたち自身で選び、お話をしてくれた箇所であるということ。

・今年の6年生も修学旅行中に子どもたち自身で聖書の言葉を選び、感じたこと考えたことを語り、6年生が礼拝を担ったこと。

・聖書にある「敵を愛し」「自分を迫害する者のために祈り」ということがとても難しいこと。

・それでもイエス様は「そのようにしなさい」とおっしゃられているということ。

・・・髙岸先生は「では、どうしたらよいのでしょうか?・・・」と子どもたちに問いかけながら新垣さんのことを紹介してくださいました。

・新垣さんは盲目のテナー歌手でお父さんは戦後沖縄に作られた基地で働いていたアメリカ人で、お母さんは沖縄の日本人であること。

・生まれて間もなく、助産師さんが目薬と間違えて動物を洗う液を目に入れてしまい、全盲となられたこと。

・1歳の時にお父さんはアメリカにかえってしまい、お父さんと会うことはないままで現在に至っていること。

このような境遇である新垣さんが、ご自身のコンサートでお話されたことを読み聞かせてくださいました。

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以下新垣さんのお話

「私は、自分のような人間は、こんな人生の悪いくじをいっぱいひいて生きてきたこんな人生なんて、なくてもいいや、と思って生きていたもんでした。

そんな中でひとりの牧師さん、その家族との出会いの中で、自分の人生っていうのが、意味があるんだ、価値があるんだ、自分は自分でいていいんだ、ということを感じるようになりました。

私にとって視覚障害ということ、そして混血ということ、そして親にほうり出されてきた、そんないろんなことを考えると全てがもうマイナスに見えてきて仕方がなかったんです。まさにコンプレックス、劣等感のかたまりでした。

でもそういう中で私が歌を勉強したいと思って、神戸に住んでおられたイタリア人のバランドーニ先生のところに勉強に行ったんです。

その時に先生が私に言いました。『この声は神様から与えられた楽器だ、だからこれはしっかり磨いて用いなさい』って。嬉しかったですね。自分がコンプレックスのかたまりだった、自分が混血だとかハーフだとか言われて、そのことが嫌だった。でもそのラテン的な血を半分もらったということで、むしろこれをプラスにとらえていく、この楽器をうんと磨いていく、そんな気持ちに変わったんです。

人間、生身の肉体を持った私たち人間ですから、どうしても利害、打算、損得、そういう世界に生きてしまいがちなんですけれども。人とくらべて生きる、人を気にしていく。しかし本当はくらべる必要は全くないわけでして、くらべようとするからねたみだとか嫉妬だとか、そんなものがいろいろと起こってくるわけですね。自分が、あるがままの自分でいいんだ、自分以上である必要もないし、自分以下である必要もない。あるがままの自分を受け入れる。

沖縄、小さな島沖縄には、いまなお日本の米軍基地の75%がございます。

沖縄は昔ですね、琉球王国でした。琉球王国は武器を持たない国として、その近隣の国に知られていたんです。

武器を持たない島、県、沖縄。本当にみんなが、世界中でそういうふうな決意ができたらどんなに素晴らしいでしょうか。今、世界的な大きな戦争はありませんけれども、しかしながら国と小さな国の内紛だとかそういう小さな戦争を合わせるとですね、本当の意味では平和はまだ訪れていないわけです。でも、平和っていうのはですね、ただ黙っていて上からぽんと降ってくるものではないわけですね。私たちが、人間みんなが努力をして作り出していかなければ平和というのは訪れないわけですね。降ってくるようなものではないわけです。

ナンバーワンを目指す人生ではなくてオンリーワンな人生。私にしかできない、平凡なことかもしれないけれども、しかし自分に与えられたこの歌という、声という楽器を使って、また自分が通ってきた、つたない小さな経験ですけれども、自分が通過してきたその出来事、いろんな事柄を通して、その人に与えられた、その人でしか生きることのできない素晴らしい人生があるのだということを、これからも歌い続けたいし、語り続けていきたいと思います。」

(以下髙岸先生のお話)

「・・・そういうお話を新垣さんはしてくれました。先生は、平和のことをいつも考えたいなと思っていますけれども、新垣さんの言葉を聴いて、さとうきび畑を聴いて、沖縄でのことを思い出すと、本当の平和ってどういう風に作ったらよいのだろう、難しいけれどもそのことを考え続けていかなければいけないんだなって、心から思います。

きっと今年の6年生も一人ひとり、まだ言葉や声にはできないけれど、そんな思いを持ち帰ってこの茅ヶ崎に帰ってきてくれたと思います。

1年生から5年生までのみんなは、まだその実感がわかりませんよね。それで大丈夫です。でもいつかはみんなも6年生になって沖縄へ行きます。ですから、今年の6年生が感じたこと、またこれから語ってくれること、そのことを大切にして聴いてください。そのことが本当に自分の心の中に積み重なっていって、平和を作る大きな大きな種になって、芽になって、実になって、きっと広がっていくんだと先生は信じています。

今日は、沖縄のことについてみんなと一緒に考えました。平和って大事です。平和が一番大事です。この名前をもらっている小学校にみんなは入っています。そのことにどうぞ、みんなは誇りを持ってください。」

お話の後、共に祈り、礼拝を終えました。