あっという間に修学旅行は最終日を迎えました。
6年生の子どもたちは名残惜しい気持ちを持ちつつ、ホテルでの最後の朝食をいただきました。出発時刻までの時間があまりありませんでしたが、荷造りや発送、部屋の片づけを終えて出発しました。
4日目の予定は対馬丸記念館の見学でした。名護市から那覇市内までバスで移動し、記念館を見学させていただきました。
(対馬丸事件について...
第二次世界大戦が終わりに近づく中、日本を取り巻く連合国軍の包囲網が次第に狭くなっていき、重要な軍事拠点を失う状況になった。そして、沖縄にはアメリカ軍の上陸に備えてたくさんの軍隊がやってきた。政府は子どもたちを九州の安全地域へ集団疎開させる通達を出した。これには疎開先で子どもたちの安全と教育の確保とともに軍隊への食料供給の安定や防衛体制の強化という狙いがあった。
1944年8月22日夜に疎開者1661人を乗せた対馬丸はアメリカの潜水艦による魚雷攻撃を受け、10分余りの短時間で沈没したため、ほとんどの人は逃げ出せず亡くなった。
そして助かった人々はこの対馬丸の沈没について口外することを固く禁じられ、疎開先での苦しい生活を続けた。
戦後、様々な証言や平和への活動が展開される中、対馬丸事件が世間に知られるようになり、また1997年に海底に沈んだ対馬丸が発見されたことがきっかけになり歴史の継承の場として対馬丸記念館が建てられた。)
子どもたちは『証言の数々』『当時の時代背景』『学校生活を含めた生活の様子』『疎開前後の沖縄の辿った歴史』そして『壁にかけられている全犠牲者の写真』等、たくさんの展示資料を一生懸命に見学していました。
ここにも戦争が引き起こす悲惨な出来事と多くの犠牲者が出たという厳しい現実があり、見学する中で多くのことを学んでいました。
対馬丸記念館見学の後、国際通り近くの公設市場に向かいました。
今年リニューアルされた市場の中には様々な店が並んでおり、沖縄文化を肌で感じることができました。沖縄ソーキそばや沖縄焼きそばをいただき、自由に市場見学を楽しみました。
家族へのおみやげを買い求めている人もたくさんいました。
そして見学のプログラムを終え、ゆいレール(沖縄のモノレール)を利用して那覇空港へ向かいました。
飛行機の機内アナウンスでは、茅ヶ崎出身の機長が平和学園の学校紹介とともに旅最後の安全を祈ってくださるという嬉しいサプライズもありました。
そして無事に家族のもとへ帰ることができました。旅の安全と学びが守られ、すべての方々に対して感謝の4日間でした。