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れんらく帳

2022年10月 4日

平和をともに 各学年の発表(4年生)

《4年生は隣人を知ることを心から考えました。3年生から4年生まで勉強した「心の授業」をまとめて発表していただきます。4年生の考えた言葉に注目してください。》(5年生司会による紹介)

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4年生は3年生から学習してきた心の授業やクラスで考えてきたことをまとめて発表しようと思います。「となりびと」を考えること、つまりクラスの友だちのことを考えることが平和につながっているのかみんなで考えてみました。

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まずは「公平」と「平等」について考えてみました。

皆さんもいっしょに考えてみてください。

学校から宿題が出たとします。

野球場に行って、試合を見ます。その感想を書いてきましょうという宿題が出ました。

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3人のお友だちが行きました。でもフェンスがあって見えません。

中を見るために「平等(びょうどう)」にボックスを配りました。でも中を見られたのはひとりだけ。

どうしたらよいでしょうか。

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ボックスの数を変えればいいんです。

こうすればみんな公平にグラウンドの中を見て宿題を出すことができます。

この場合、右の女の子はボックスの数が多いからと言ってズルいのでしょうか。

私たちは考えました。すぐに答えが出ました。「ズルくない」という答えです。

 

でも、これはずるいですよね。だって右の女の子はひじかけ付きの特別なイスに座っているからです。立ってみている二人がかわいそうです。

でも、これはズルくないです。

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公平と平等って同じような気がしますが、じっさいはちょっとちがうことがわかりました。ぼくがクラスでいっしょに勉強している時も、友だちの得意不得意に合わせた学習の問題があったりして、はじめのころは何でだろうと思ったけれど、今はあまり気になっていません。

 

次にみんなで勉強したことは、自転車は飛行機になれるのかと言うことでした。

これもすぐに答えが出ました。「なれない!」

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でも、わたしたちのまわりには相手に合わせる、同じようにやる、と言うことがたくさんあります。神様からいただいた個性は変えられないし、変える必要はないということを学習しました。

 

でも、雨の日のことを考えました。雨の日に自転車やバイクが運転するのも、車が運転するのもどちらも「雨の中」というのは変わりません。どっちも事故がないように気を付けながら運転します。だから経験(けいけん)をつめば、うまくなることもあります。だから、ぼくたちの性格や行動は努力や考えた方を変えると、少しずつ変えることができます。

私たちには変えられるものと変えられない部分があることをみんなで勉強しました。

 

次にみんなで学習したことはパズルでした。

3グループに分かれてパズルをしました。

そんなに難しいパズルじゃなかったけれどとちゅうで、みんなが「え?」「何これ?」と話し始めました。「先生!このパズル変だよ!」

実際に変なパズルなんです。

一つはピースが「ぶつかり合うもの」

もう一つはピースは「組み合わない者同士のもの」

もう一つは「はじっこのピースなのに飛び出したもの」でした。

 

このぶつかり合っているピースについてみんなで時間を使って考えてみました。これが何を表しているのかと先生に聞かれました。するとすぐに「友だちと友だちの関係のことを表していると思います。」と友だちが答えました。

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先生は「友だちとこうなったらどうする。つまり、おたがいにぶつかりあったり、ひっこめ合えなかったりしたらどうする?」とききました。しばらく考えてから少しずつ意見が出ました。

「自分がひっこめばいいかな・・・。ゆずりあった方がいいかな」

「いや、ぶつかったほうがいいな。ぼくはぜったいにひっこめないな」

 

左のピースが自分、右のピースが自分の友だちの誰かだとします。このままだと入りません。あなたなら、どうしますか。

4年生13人に聞いてみたところ...

自分が引っ込もう・ゆずったほうがいいな  12

ぶつかったほうがいい・ぜったいにひっこめないぞ 1

という結果になりました。

 

やっぱりゆずったほうがいいですね、ってみんなが結論を出そうと思ったのだけれど、「1人」だったぼくの意見をクラスのみんなが聞いてくれました。

ぼくは「ゆずってばかりだったら、相手の気持ちも自分の気持ちもお互いにわかり合えないんじゃないかと思うんだけど。」と言いました。

 

たしかにゆずったとしても、心にもやもやした気持ちが残ることってありませんか。

私はあります。イラスト書いてみました。

どうぞって書いてありますが、その後に顔を手でおおっている自分がいます。

「なっとくできずにゆずってしまうこと」や「ゆずったつもりだったけれどモヤモヤすることってありませんか。

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この友だちの意見で残りの12人の気持ちが変わりました。「確かにそうだなぁ~」「ゆずるだけがいいというわけではないなぁ~」「じゃあどうしたらいいのでしょうか。このパズルをどんな形にしたら、気持ちよく組み合わさることができるのか、みんなで考えてみました。

 

いろいろな形が出てきました。

自分がゆずる形になった人。

ちょっとだけ跳び出す人。

今回は僕がひっこめるから次は、あなたがひっこめてと順番を決めるやり方の人

ちょっとふくざつな組み合わせの人。

ここでは見せられませんが、みんながいろいろな形を考えました。

 

最後に、みんなが「おおおおお。これはいいアイディア!」と言われたものがありました。「うん!これがいい!」というパズルの形でした。

その人は先生に聞かれたときすぐにこの形を思いつきました。

「ハーフ&ハーフだね!ハーフ&ハーフがいいよ!」といって!

こんな形にしました。

これならお互いの気持ちをわかり合いながら組み合わさることができるんだ、これがいいとみんなで共有しました。

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もう一つのパズル。

このパズルについてもみんなで考えてみました。これで完成!だとおもったら、一か所、飛び出て完成するパズルでした。先生にこの部分はじゃあどうする?と聞かれて、

「切っちゃえばいいんじゃないか」と言った友だちもいました。

「じゃあ切る?」と聞かれてみんなは少し考えました。

 

ぼくは「それはそれで芸術なんじゃないかな...」と発言しました。

その後みんなで考えました。

飛び出しちゃっているのも一つの芸術なのかな。

もともとそのように飛び出したもので完成している。

そうやってとびだすようにつくられていたら、それはそれでいいということだ。

とみんなでいっしょに考えました。

だから「切っちゃえばいい」というのはちょっといい感じがしませんでした。

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自分の個性や友だちの個性が、「飛び出しちゃうものに見えた時」とか「そう思われる時」があったら、それは切ったらいいと思っちゃうのでしょうか。

ぼくたちは違うと思いました。

ぼくたちは「変えることのできない個性は神様からいただいたもの」だと知っています。飛び出した形が「もともと完成されている一つの作品」だとしたらそれを受け入れて大切にしないといけないと知りました。

これはこれで芸術じゃないかな・・・名言でした。

 

 

 

 

 

 

こころの学習といっしょに4年生の大切な学習「命の学習」を学びました。

4年生になったらみんな勉強します。

勉強の中でおうちの人からたくさんの愛の詰まったお手紙をもらいました。愛されて生まれたことを知りました。生まれることがとてもすごいことだと知りました。

 

わたしたちはすごい確率で生まれてきたことを知りました。その確率は「『ぜったい』と言って良いくらい当たらない宝くじの1等が何度も当たっちゃうぐらい」のかくりつですと教えてもらいました。そのすごいかくりつでとなりのせきの友だちもクラスのともだちも、世界中のとなり人も生まれてきていることを知りました。

 

そんなすごい奇跡で生まれた私たちです。神様から与えられた個性はたった一つの物で変えられないこと、ともに学校で生活するためにはおたがいに話して気持ちを知ること、いっしょに勉強するためにはボックスの数はちがうけれど、それはずるじゃないことを知りました。

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去年の平和をともにと同じ「みんなちがって かちがある」ことを私たちは勉強してきました。私たちのクラスは12人ですが、みんなで勉強したことを忘れないで「となりびとのことを考えていきたいたいです。

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4年生の皆さんで学んできた歩みと、お互いを大切にしあって生きていくにはどうしたらよいのか、何が大事なことなのか、改めて深く考えることが出来ました。ありがとうございました。