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れんらく帳

2024年12月16日

『一緒にいるのは誰だった?』~児童礼拝のお話~

クリスマス礼拝を終えた休日明けのこの日、朝の児童礼拝担当は学園宗教主任の児玉先生でした。

先生は最初のクリスマスについてお話しくださいました。

馬小屋でイエス様がお生まれになった時のことをアレセイアの高校3年生が描いてくれた今年のクリスマスカードを見せつつ、イエス様と一緒に居たのはヨセフ・マリアの他には動物たちだったであろうことを共に想像しながらのお話でした。

そして、生まれる場所として選ばれたのが「宮殿」ではなく「馬小屋」であったことの意味について、また、成長されたイエス様がどのような人たちと一緒におられたかということについても問いかけられました。

子どもたちには分かりやすく、「自分が生まれるならどちらが良いか、自分が友だちになるならどちらを選ぶかという質問をしました。

そしてイエス様が「お金持ちで権力もあり頭のいい人」よりも「貧しく人々から嫌われている人たち」と一緒におられたと話は続きました。

~以下お話(原文まま)~

「一つ目の質問も二つ目の質問も、どちらもイエス様のなさったことと、私たち人間が願うことが全く違うことが分かります。神様は、私たちの考えとは全く違うお考えを持ってイエス様をこの世界に赤ちゃんとして生まれさせられました。

私たちなら『馬小屋よりも宮殿がいい』。

私たちなら『貧しい人や嫌われている人と友だちになりたくない』。

でもイエス様は、貧しい馬小屋を選ばれ、貧しく嫌われている人と一緒におられました。

なぜなら、私たちが選ばない場所に生まれてくださることによって、私たちが選ぼうとしない、見ようとしない場所を見るためです。

友だちになろうとしない人を私たちが見るためです。

私たちは、いつも自分と自分の周りの人しか見えません。でもイエス様はこんなに貧しい場所があり、貧しく悲しい思いをしている人たちがいるんだよと、みんなで一緒に生きなさいというメッセージを送ってくださいました。

クリスマスには献金をお捧げしましたね。献金をするのは私たちが一歩、イエス様の思いに近づくためです。

キリスト教ではアドヴェントから新しい一年が始まっています。

自分も世界もイエス様の思いに一歩近づけるように祈り、行動していきたいと思います。」