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れんらく帳

2023年12月14日

『みんなで喜ぶクリスマス』(クリスマスメッセージ)

2024年度の合同クリスマス礼拝は中学校のハンドベル部の前奏から始まりました。

日本基督教団平塚富士見町教会牧師の児玉慈子(こだま ちかこ)先生から「みんなで喜ぶクリスマス」と題したクリスマスメッセージをいただきました。

「羊飼いたちがベツレヘムの馬小屋に辿り着いた時、彼らは一人ではありませんでしたね。何人かの羊飼いたちが一緒に馬小屋に辿り着きました。そこにはヨセフとマリア、そして赤ちゃんのイエスさまが飼い葉桶に寝かされていました。

天使が知らせてくれた通りだったので羊飼いたちは喜びにあふれます。そして、全て見聞きしたことを『その通りだったよ』と色んな人に伝えたと聖書に書かれていました。羊飼いたちは最初にクリスマスの出来事を知らされた人であり、また最初に伝えた人にもなりました。知らされた人が伝えていく...そうやってキリスト教も世界中に伝えられていきました。

羊飼いが、もし一人で天使の話を聞いて、そして一人で馬小屋に行っていたら...その後どうなったでしょうか。もしかしたら何年か先に『あれは幻だったんじゃないか』と思ったかもしれません。でも、あの時一人ではなくて何人かの羊飼いたちが一緒に馬小屋へ行ったので、きっとその後もずっと『あぁ、あの時のことはこうだったね』『ああだったね』と話し合うことができたんだと思います。

平和学園小学校の三年生、そして二年生の皆さん。素晴らしいページェントをありがとうございました。私がこのページェントを見るのは七回目になりますけれども、毎回学校でのクリスマスがあってその後教会でのクリスマスがありますけれども、教会のクリスマスを迎えるにあたって、いつもこのページェントで力づけられて教会のクリスマス礼拝をまもることができています。

今年は三年生と一緒に二年生がページェントに参加していました。二年生はとても歌を歌うのが好きなので、聖書の時間に授業の最初で賛美をしています。その時、最近歌っている歌の歌詞にこういう歌詞がありました。

『イエスさまを信じてからいろんな事が楽しい。イエスさまを信じてからみんなといると楽しい。』

こういう歌詞があるんですね。この曲を歌った時に二年生の男の子たちから「イエスさまを信じなくてもみんなといると楽しいんだけど。」と言われました。私は『うーん。』と思いながら何も答えずに授業を進めました。

すると次の授業の時に同じ様にこの同じ曲を歌いました。すると同じ様に男の子たちから「先生、イエスさまを知る前からみんなといると楽しいんだけど。」と言われました。私はどう答えようかなと思って『うーん。』と思っていると、一人の子が「...そうか。これはページェントのことを言っているんだ。」という風に言いました。すると他の子も「そうか、そうか、たしかにページェントのことを言っているんだ」と言ってくれました。自分で答えを見つけて、そして大きな声でみんなで賛美をすることができました。

イエスさまを最初は知らなくても信じていなくても、ページェントの練習を始めることができます。でも、練習をしていくうちにイエスさまがお生まれになった時に『マリアはどう感じたのだろうか』

『ヨセフはどう思ったのだろうか』

『預言者イザヤはどう思いながら伝えたんだろうか』

『羊飼いたちは光の中で何を感じて、博士たちは旅をしながらどう思ったのか』

『天使たちはどんな思いで歌ったのか』

...色々なことを考えながらこのページェントをつくり上げていったと思います。実際に目で見たわけではありません。でも、聖書に書いてある言葉を元にしたこの劇をつくり上げていく時に段々とその登場人物たちの思いに寄り添って、そしてみんなでこの劇をつくり上げた、その楽しさを感じることができたと思います。

『目に見えるもの』と『目に見えないもの』が私たちにはあります。『目で見えるもの』それは『すぐに分るもの』であって『答えを見つけやすいもの』です。

でも、神さまには、聖書に書いてあることは『すぐに見ることはできない』ので、みんなと一緒に考えて「ああでもない」「こうでもない」「こうなのかな」「ああなのかな」と考えていく、それはとても有意義な時間・楽しい時間になっていくんです。だから『イエスさまを信じてから色々なことがもっと楽しくなる』という歌詞、その意味が分かってくるのだと思います。

それは中学生の皆さんにとっても同じではないでしょうか。

今年の春に修養会(御殿場)に行った中学生の皆さんにその感想を聞きました。すると「すごく楽しかった」と言ってくれました。「すごく楽しくて、スマホが要らないくらい楽しかった。」と言っていたのがとても印象に残りました。「でも、帰ってきたらやっぱりスマホが必要だった。」と言っていたのもよく気持ちが分かりました。

なぜ友だちと過ごす時間が修養会で楽しかったかといえば、それは先生たちや友だちと一緒に聖書を読み、そして礼拝をして、普段の学校生活ではできない少し深い話、真面目な話をできる時間があった。真面目に語り合う時間、それは友だちとの楽しい時間と同じくらい大切な時間だったんだと思います。友だちとふざけ合って笑い合うのはとても楽しいことです。でも自分が普段心にしまっていることを少し心を開いて語り合う...それはもっと嬉しいことではないでしょうか。

2023年も、もうすぐ終わろうとしています。皆さんにとってはこの一年どういう年だったでしょうか。

今年ほど小さな子どもたちが悲しい涙をたくさん流している...そういう場面をニュースで見た年はなかったのではないかと私は思っています。せめてクリスマスの時だけでも喜びがあってほしいと心から願うのみです。

さて皆さんはクリスマスの絵本を持っていますか。その絵本の中でさっき観たページェントのような馬小屋の出来事が描かれた絵本を持っているでしょうか。私はこの前、平塚駅にある本屋さんに行きました。そこにたくさんのクリスマスの絵本が置かれていたんです。ざっと見て百冊くらいあったのではないかと思います。その中に『馬小屋の場面が描かれた絵本があるかな。』と思ってですね、一冊一冊見ていきました。そうすると、何と一冊もありませんでした。ええ!と思ってですね、もう一回見たんですね。そうしたら、確かに無かった。

なぜ、『クリスマス』は『クリスマス』なのでしょうか。

それは、『イエスさまがお生まれになった』から『クリスマス』なのです。

クリスマスがもし、プレゼントをもらうだけの日であるならば、プレゼントをもらえない、今、悲しみや苦しみの中にある子どもたちは『クリスマス』を迎えることができないのでしょうか。

今日、皆さんはページェントを通して最初のクリスマスの出来事を知りました。こうして、小学生と中学生とそして保護者の皆さん、一緒に最初のクリスマスの出来事を知ることができました。このホールはとても立派なホールです。でも、私たちの思いは馬小屋に集った人たちの思いと同じ。小さな赤ちゃんのイエスさまに逢いに来ました。羊飼いも博士も小さな赤ちゃんに『平和の王』として礼拝をしに来ました。力のある人が、偉い人が礼拝されるのではありません。力の無い、守ってあげなければならない存在である赤ちゃんを礼拝する。強い者が弱い者を礼拝する。そこに本当の平和があるのではないでしょうか。

皆さんはこれからそれぞれのお家でクリスマスを迎えます。楽しい時間があり、欲しいプレゼントをもらえると思います。

でもその時に『クリスマスは自分たちだけで喜ぶ時ではない』ということを思い出してほしいと思います。

『クリスマス』は、『みんなで喜んでこそクリスマス』なのです。

イエスさまのお誕生、おめでとうございます...という思いでクリスマスを迎え、新しい年を迎えていきましょう。』