2学期が始まり約2週間が経過し、徐々にそれぞれの生活リズムが整ってきたように感じられます。
今週、聖書の授業を担当してくださっている児玉先生(平塚富士見町教会牧師)が児童礼拝でお話してくださいました。
聖書の箇所は「ルカによる福音書 11章1節」でした。
『イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。』
以下、お話です。
「皆さん、おはようございます。今読んだ聖書の箇所の続きにはイエスさまがお弟子さん達に教えたお祈りが書かれています。読んでいきたいと思います。
〔そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう祈りなさい。
『父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。
わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
わたしたちの罪を赦してください。
わたしたちも自分に負い目のある人を
皆赦しますから。
わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』〕
と書いてあります。これは『主の祈り』の言葉になります。私はこの『主の祈り』をお祈りする時にいつも思い出す人がいます。それは私の教会にずっと通って来られた〇〇さんというお婆さんです。コロナウィルスが始まって直ぐ位に93歳で亡くなりました。でもその方からある時、ご自分の戦争の体験をお聴きしたことがありました。
〇〇さんは東京に住んでおられました。でも、戦争が激しくなりお父さんのお仕事で色々な所にお引越しをされたそうです。引越しをする度に空襲に遭われたと言っておられました。空襲って分かる?(目の前に座る1年生への問いかけ)分からないよね...飛行機が飛んできてたくさんの爆弾を落としていきます。そして街が焼けてたくさんの人が亡くなりました。そういったとても怖い経験を何回もされたということを話してくださったことがありました。
東京や横浜、私の住んでいる平塚でも空襲があったと聞いています。大きな都市への空襲はよく有ったそうですけれども、小さな町でも時々そういう空襲が有ったそうです。
〇〇さんが空襲を経験したのは名古屋や四国だったそうです。特に四国というのは...皆さん行った事があるでしょうか?...四国というのは大きな土地が有る所ではないんですね。なので、滅多に空襲は無かったそうです。ところが飛行機が爆弾を積んで何処かの街を空襲した時、その後で残っている爆弾を落としていくという事があったそうです。「何でそんなことをするんだろう?」と思いますけれども、戦争の中では本当に私たちが想像する以上の事が行われることがあります。四国の人達は殆ど空襲に遭ったことが無かったので、何も準備をしていなかったそうです。なので皆さんが今、戦争のドラマとかをテレビでやっているのを見ると皆上は着物だけれども下はもんぺというズボンの形をしたものをはいて、いつでも逃げられるように準備をしているのを観たことがあると思います。
ところが四国の人達は殆どそういう経験が無かったので、いつも浴衣を着ていたそうです。浴衣ってね走るのには全く適していません。それで、そういう四国で暮らしていた時に、突然、空襲警報が鳴ってみんなが逃げたそうです。でもみんな浴衣なので、なかなか走ることが出来ずに沢山の人が犠牲になったそうです。〇〇さんも必死に走って夜の道を駆けて逃げていったそうです...もう走れない...もう駄目だ...と思った時に座り込んで...其処で何をしたかというと、女学校という今でいう高校や大学という所で聖書の時間に勉強した、聴いたことがある...さっき読んだ『主の祈り』を思い出したそうです。そして、必死でその『主の祈り』を祈り続けたそうです・・・そうして祈り続けていた時に、ようやく夜が明けて自分が助かったんだ、生きていられたんだという事が分かったそうです。
その話を聞いて、あっ、〇〇さんにとって、この『主の祈り』というのは特別なものなんだなという事が分かりました。私が行くと...〇〇さんのお家を訪ねてお話しをするんですけれども、最後に聖書を読んでお祈りをするんですけれども、その終わりに必ず「では『主の祈り』を祈りましょう」と言われて二人でお祈りをした事も思い出します。
『平和をともに』の準備を皆さん進めていると思います。みんな頑張って色んな事を準備していると思います。私が思い出すのは、去年の6年生が修学旅行の発表をしてくれた、その発表を聴いた一か月後ぐらいにロシアとウクライナの戦争が始まったのではないかなと思い出します。
その時に、「何故、戦争が始まってしまったのだろう」と私自身とても悲しい思いで考えました。6年生はあんなにはっきりと「戦争は駄目だ」「平和がいい」と言ってくれていたのに、なぜ戦争が始まってしまったんだろうと。
その時に、「あ、自分はどうなんだ?」と思いました。自分は、もちろん戦争は反対、平和がいいと思っています。でも、思っているだけで、自分自身はちゃんと口に出して、声に出して言っていたのだろうか...というところをとても考えさせられました。今でも考えさせられています。
皆さんは、これからね、平和学園小学校で何回も平和について考えて、そして自分の意見を言っていくと思います。その意見をしっかりと、心の中で思うのではなくて誰かに伝えていく、それはとっても大切なことです。だから、その経験を卒業してもずっと思い出してほしいなと思います。そして何度でもその経験を口に出して言ってほしいと思います。そうすれば、きっとそれに賛同する、一緒に言ってくれる仲間が与えられると思うからです。
そして、神さまはその言葉を喜んでくださると思います。
では、お祈りを致しましょう・・・
主イエス・キリストの父なる神さま、今日もこの一日を私たちに与えて命を守っていてくださることを心から感謝いたします。一人ひとりの命を、平和をつくり出すために、どうぞ用いてください。お友だちとの平和、先生との平和、学校の平和、そしてこの町の平和、国の平和、世界の平和を私たちがしっかりと求めていくことが出来ますように力をお与えください。このお祈りをイエスさまのお名前によってお捧げ致します。アーメン」