『川崎平和館見学』
『第五福竜丸展示館』から移動し、次に訪れたのは『川崎市平和館』でした。
以下資料引用
【平和館について】
「平和とは、全ての人間が暴力や差別、貧困や環境破壊におびやかされず安心して生活できる」ことであるとの考えのもと、日本の過去の戦争、戦時中の川崎、現代の武力紛争、兵器、マスメディアと武力紛争の関わりなどの戦争についてはもちろん、国家による弾圧、武力は伴ってはいないものの、私たちの平和的な生活を脅かす、環境破壊、貧困、差別などについても、平和問題として展示 されていました。
「平和の反対って何だと思いますか?」
との問いかけから始まり、見学がスタートしました。
戦時中の川崎の様子を子どもたちにも分かりやすく解説してくださいました。
焼夷弾によって川崎も大規模な空襲を受けました。しかし、実は最初に兵器として使用したのは日本で、中国を空襲した際に使っていたということも分かりました。焼夷弾は軍事施設をピンポイントに爆撃するというよりも地域一帯を焼き尽くすことを目的とした兵器ということで、一般人が否応なく巻き込まれるため現在も使用を禁止されている兵器だそうです。
この様に具体的で説得力のある解説を加えながら案内してくださいました。また時間軸は過去から現代、そして未来へと移っていきました。
テーマは先述の通り多岐にわたり、見学時間内に全てを網羅することは叶わないことでしたが、「平和学」を物事の捉え方の軸にして私たち一人ひとりがどのように平和を創り出す行動をしていくことができるか・・・いろいろなヒントがあるように感じました。
自由見学時間には、子どもたちは思い思いに自身の関心のあるテーマについて見学をしていました。
『平和講話』
川崎平和館を後にし、一同初日の宿泊先へ。
到着後、福島富子さんのお話をうかがう時をもちました。(神奈川県被爆者の会)
福島さんは生後6か月の時に長崎において被ばくされたそうです。そして、兄や母との思い出を語ってくださいました。
兄も私もいつも飢えていたが、4歳の時に五島列島に一人預けられ一週間泣いたこと。
自分が被ばくしたことは知らされずに育ったこと。
あるおばさんが自分と居る時に号泣していて訳が分からなかったが後に自分の母だという事が分かったこと。
自分が被ばく者だと知った後、結婚する時に悩まれたこと。
『髪の毛が抜けるのではないか』『病気になるのではないか』と怖かったこと・・・
これまでこの様に誰かに話したりするような生き方とは関係ない生き方をされてきたが、福島の原発事故以来、話すようになったと教えてくださいました。また、親交のある方の手記を読み上げ、その方の思いを継いでいくということもおっしゃっていました。
最後に半藤一利氏の言葉を紹介してくださり、6年生でも読み進めてきていた方についてだったので、より深い所で感じ・考えることのできる時となりました。