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れんらく帳

2022年5月28日

感謝の日の礼拝(第1部)

2022年度の『感謝の日の礼拝』では、鶴丸先生がお話をしてくださいました。中高、そして小学校で長年音楽を教え続けてくださってきた先生ならではの心のこもったお話。以下に掲載させていただきます。

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『私が平和学園にご縁があり先生になってちょうど40年になります。途中10年位のブランクがありますが、随分長い時間が流れました。

私の平和学園での第一歩は、先生になって初めての礼拝で当時の宗教主任の先生がそっと開いてくださった聖書のページから始まりました。まだ私は自分の聖書を持っていませんでした。先生は「ちゃんと用意しなさい」などとはひと言もおっしゃらずに、にこやかな笑顔で隣に座っている私に聖書を差し出し、その日の聖書の箇所をそっと指さして教えてくださいました。・・・こうして平和学園での毎日の礼拝で聖書の御言葉と出会う日々が始まりました。

そのころの賀川村島記念講堂は今のように大きなパイプオルガンは無く、クロダオルガンというオルガンで私は毎日(礼拝の)奏楽をしていました。クロダオルガンは日本ではかなり有名で立派な大きなオルガンでした。冷暖房は無く、冬は通路に係の先生が石油ストーブを何台も朝早くからつけてくださって、私もかじかむ手を温めながら練習したことを懐かしく思い出します。

しばらく学園と離れて、またご縁があって今度は小学校で音楽の先生としてお仕事をさせていただくことになりました。

ある時...学校の帰り、二人の女の子とバスが一緒になりました。二人は仲良くお喋りしています。私もその様子を微笑ましく見ていました。しばらくすると二人の間で何か話し合うことができたらしく、よくは覚えていないのですが、片方の女の子の「でも、神さまは見ているからねぇ・・・」という声や話す様子が私の目に飛び込んできました。

小さな女の子のまっすぐに神さまを信じるその心にふれた気がして、びっくりすると同時に、なんだか心があたたかくなりました。平和学園小学校の子どもたちと共に時間を過ごすことが私の幸せだと思いました。

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私は音楽を教えているのでページェント(クリスマスの降誕劇)にもずっと関わらせていただいています。ページェントは小学校3年生には少々難しい音域がたくさん出てきます。長く立ちっぱなしの練習を初めて経験します。それははじめは辛いものです。けれど『イエスさまのお誕生を伝えるんだ』と心にしっかりと使命感を持ち、一つひとつ乗り越えていく子どもたちの姿に毎年毎年感動します。本番、クリスマス礼拝で高らかにイエスさまのお誕生を歌い上げる子どもたちに感動します。そして、小学校の多くの先生方の子どもへの関わりが長い練習期間の子どもたちを支えてくださっていることに感謝の気持ちでいっぱいです。

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長い年月が流れると思いもかけないことが起こります。

2年前のコロナによる休校、そしてそれ以降、制限のある学校生活が続いています。休校の間、子どもたちのいない学校はなんと寂しく空しい場所だったことでしょう。

学校が始まってもグループ活動をしたり、手をつなぎ、歌を歌い、楽しくお喋りしながらお弁当を食べる...ということが出来なくなってしまいました。それでも休校という事態に比べれば子どもたちの明るい声や笑顔に励まされる思いがしました。

子どもたちと共に賛美歌を歌い、聖書を開き、御言葉に耳を傾ける日々はかけがえのないものです。

40年前、開いていただいた聖書の1ページは私にとって子どもたちそして先生方と共に平和学園小学校で過ごす日々につながっていました。そしてこれは、かけがえのない日々となりました。この日々を過ごさせていただいたことに感謝でいっぱいです。』

40年という歳月を歩まれてきた先生のお話が胸に響きました。きっと、さらにたくさんの素敵な出来事や御言葉がその胸中にはおありなのだと思います。

おだやかに、そして自然に感謝の気持ちを抱かせていただいた、あたたかなお話をありがとうございました。