4月11日は、隣人を覚える礼拝でした。
この「隣人を覚える礼拝」は、平和学園小学校でまもられている大切な礼拝です。
東日本大震災の起きた2011年より毎月11日に児童、教職員ともに祈りを捧げ、隣にいる友達や家族のことだけでなく、
顔も名前の知らない、まだ会ったこともない誰かのために
「自分にできることとは何か。」
今日の礼拝でのお話です。
自分の分を受け取って帰りなさい。
わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。
それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。
マタイによる福音書20章14~15節
わたしたちは、つい人と比べて自分が損をしているのではないかと思ったり、良い立場に立てなかったりすると、他者をねたんでしまいます。
人をねたむ心があると目が濁ってしまい、神様が充分くださっている愛に気付くことができなくなってしまいます。
わたしたちはみんな、神様に愛されている存在であるということを忘れなければ、澄んだ目で隣人を正しく見つめることができると思います。
神様が与えてくださった澄んだ目で隣人を見つめられますように。
お話のあとに、隣人を覚えるお祈りをしました。
最後に奉仕委員によるお祈りがあり、ともに深く祈ることができました。
奉仕委員の皆さん、ありがとうございました!
今年度の献金先は、能登半島地震の被害に対してとウクライナ戦争での被害に対して、お捧げしようと考えています。
隣人を覚えること、平和をつくりだすことができますように。