ホーム > れんらく帳 > 『ターニング』~始業礼拝でのお話~

れんらく帳

2025年1月 8日

『ターニング』~始業礼拝でのお話~

始業礼拝では教頭先生のお話がありました。

・冬休み中に韓国へ旅に行ってきたこと。

・何て寒いのだろうと思ったこと。(着いたときマイナス7℃、日中でも0℃だったそうでこれを聞いた子どもたちは驚きの声をあげていました。)

・韓国の教会(明洞大聖堂)を訪れ、クリスマスの日に祈りをささげることができて嬉しかったこと。

・同時に、私たちが毎朝平和学園で礼拝をしているけれどそれぞれの国に教会があって、それぞれの国の人がそれぞれの国の言葉でイエスさまに、神さまに祈りをささげて礼拝をしているって本当に素晴らしいことだなと感じたこと。

当たり前の事なのだけれど強くそのことを感じたということでした。

そして、話は【イエス様を知らせるために働いた人について】へと続いていきました。

(以下原文まま)

『イエスさまを伝えるためにたくさんの人がはたらいた、たくさんの人のことが聖書に書かれています。その一人のパウロさんのことを、先生は年が明けるとよく思い起こします。新しい年が始まると、目標を立てる人もいるでしょう。いろんな思いを持つ人もいるでしょう。それはとても素晴らしいことだと思いますが、先生はパウロさんのことをより親身に思うことがあり、今年もパウロさんのことを思いました。

パウロさんは時々聖書のお話に出てくるときに皆さんも名前とか『あ、そういう人ね』とか聞けばわかると思うんですけれど、ずっとイエスさまのことを嫌っていたというか反対していたというか、イエスさまなんておかしいぞって言ってイエスさまのことを追いかけ、怖いけれど、イエスさまのことを捕まえちゃおう、痛い目にあわせてしまおうと思っていた人でした。

でもある時、イエスさまと出会います。

光がばぁ~っと照らされて目が見えなくなって、イエスさまの声を聞いた...という聖書の個所のお話を聞いた人もいるんじゃないかな。それがパウロさんです。

その聖書の個所を見てみると、題名が『サウロの回心』と書いてあります。サウルとはパウロさんのことです。

・・・ ホワイトボードの 改心  と 回心 を指し示しながら ・・・

【カイシン】ていろんな漢字があるんですけれど、普通はこの『改心』を使うことの方が多いように思います。

心を改める、悪い所を善い方に改めようということです。

聖書出てくる『サウロの回心』は、こちらの『回心』を使っています。

回る心・・・普段の生活で「回る心の方の回心」てあまり使わないですよね。お説教されて「改心しなさい」という方が多いのですが、聖書はあえて回る心の方を使っています。

先生はこのことを小中学生の時は『ああ、そうなのか』と思っていたのですが、高校生の時に『何でなんだろう?』と不思議に思ったんですよ。そこで学校のチャプレン...聖書の先生に聞いてみました。

「何で、このパウロさんの回心は回る心の方なんですか? だって普通こっち(改心)をよく使うし、パウロさんはイエスさまのことは嫌いだった、反対していた、だけどイエスさまと出会って心を改めたんだからこっち(改心)でいいんじゃないですか?」と聞いた事がありました。

そうすると、チャプレンは・・・とってもかっこいい聖書の先生で声もガラガラな人だったんですけれども、あまり多くは喋らずに一言二言僕に言ったのがこういうことでした。

「ターニン!」

「ターニン!」

・・・「ターニン」・・・何それ?

・・・それでぱっと行ってしまうんです。それで僕はポカーンとしてしまいました。

でも、よーく考えると・・・その言葉を今もそうですけれども、噛みしめることがあるんです。

「ターニング」っていうのは水泳でいったら「ターン」するそのことです。日本語に訳すと「方向転換」ということです。

こっちに進んでいたものをこっちに進む。

その「ターン」する場所のことを「ターニング・ポイント」と言います。

チャプレンがその後あまり詳しく話してくれなかったのでもっと話を聞きたかったんですけれど、その言葉で先生は『ああ、そうか。ターニングなのか』・・・それで、心に落ちることができました。

「改める」悪いことを改めたのではないんだな・・・パウロさんが今まで生きてきた生き方とか、パウロさんが信じて...真面目な人だったから...進んできた進み方は決して悪いというよりは、イエスさまに出会っていなかっただけなんだな、イエスさまと出会って「ターニング」したんだ。

『悪い心を改めなさい』ではなくて、『あなたの今までも全部含めて、私と出会ったあなたは方向転換をしていくんだよ』ということです。

だから、「回るところ」なんだなと先生は納得しました。

チャプレンと全然会ってませんけれど、「納得できました」と伝えたいです。伝えられるか分かりませんけれども。凄いなと思いました。

新しい年が来ました。

新しい時を迎えました。

その今、今日この時は、パウロさんだけではなくて、大人も子どもも私たち一人ひとり、やはり『ターニング』なんじゃないかなと思います。

今日が『ターニング・ポイント』なのではないかなと思います。

新しい年になって、『何かいいことがありますように』『今年は何も起きず無事でいられますように』・・・それは良いことなんですよ。

お祈りをしたり、願うことは全然悪いことではありません。

当たり前だしそれでいいと思うんだけれども、それ以上に私たち、この学校で、教会で聖書を通してイエスさまと出会った私たちはそれ以上に年の初めに『ターニングだぞ。』と思って3学期をスタートさせたい・・・先生はそう思っています。

イエスさまと出会ったことで、生きる方向を変えてもらったんです。

でも自分でまた道を変えちゃうこともあるかもしれないけれど、でも私たちはイエスさまと出会って『ターニング』ですね。チャプレンの言葉を借りれば

『ターニン!』『ターニン!』『ターニン!』

そのことを今日は伝えたいなと思いました。

どうぞ祈ってそのイエスさまとの出会いを喜んで感謝をして今年一年、イエスさまに心を回して方向転換して進んでほしいと思います。

鳥だって一緒ですよ。鳥は...先生大好きですけれども,鳥の言葉は分からないけれども...鳥はいつも何かを感じて生きています。特に風を感じて生きます。特に星を感じて生きます。

よい風が来た時に鳥は無意識に神さまから与えられたプレゼントの力で羽を広げて飛ぶんです。

どこかに行かなければいけない時に鳥は神さまから与えられたプレゼントの力で無意識に星の方角を自分で見てそのことを知って飛んで渡って行くんです。

皆さんは鳥ではありませんけれど、この3学期、それぞれが次のステージに進むための『ターニングの学期』だと思ってほしいと思います。

1年生はあと3か月したら2年生です。2年生は3年生、3年生は4年生、4年生は5年生、5年生は6年生、そして6年生は卒業の年です。そして新しい中学校に行きます。

だからこそ皆さんそれぞれ「3学期は何事もありませんように...」と先生も願っちゃうんだけれども、それだけじゃなくて次のステージに行くための大事な『ターニング・ポイントの3学期』だと思って、イエスさまの方向を向いて進んでください。

それが今日の始業式だと思います。

皆さんのこれからもね、共に祈りつつ一生懸命一緒に3学期を過ごしていきたいと先生たちみんな思って今日の日を待っていました。3学期もよろしくお願いします。お祈りします。』

こうして共に祈って始業礼拝が終わりました。