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れんらく帳

2022年4月26日

創立記念礼拝(76周年)

創立76周年を迎えた今年の創立記念礼拝は卒業生の山本成美(やまもとなるみ)さんをお迎えしてお話をうかがいました。

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「皆さんおはようございます。今日皆さんと一緒に創立記念礼拝に参加することができて、とても嬉しく思います。私は今から60年前に平和学園小学校に入学しました。小学校・中学校・高校と12年間この学校に学んだわけですけれども、一番心に残っているのは小学校のことです。

60年前の平和学園小学校は松の木がたくさん生えていて、松林の中に学校があるというような感じでした。今も白十字林間学校の噴水池がありますけれども皆さんご存じですか?噴水池の隣に講堂がありました。木造の小さな講堂だったですけれども、そこで小学校の入学式・卒業式・朝の礼拝などすべてそこで行いました・・・」

穏やかに優しい口調で当時の小学校生活の様子を話してくださいました。

●1年生の時『森の小人』という劇で、森のお祭りに行きましょうという場面で『上着がないよ...うえーん』というセリフを覚えているということ。

●みんなで遊びを考えていろいろな遊びをしていたこと。

●流星号というスーパーカー(段ボール製)に乗り、マッハ15の想像世界をたのしんでいたこと。

●校庭の端にあった笹薮に秘密基地を作り、遊びが盛り上がって休み時間が過ぎても教室に誰もいなかったので先生たちが大騒ぎになり見つかってこっぴどくおこられ、秘密基地も流星号も残念ながら自分たちできれいに解体したこと。

●5年生になる頃、アメリカからバビーくんという子が来たこと。バビーくんは日本語が苦手だったので男の子のことみんなを『スキ(好き)チャン』と呼んでいたこと(残念ながら女の子はあまり呼んでもらえなかったそうです)。

●バビーくんのことをよく面倒見ていた男の子は『ダイスキ(大好き)チャン』と呼ばれ、その子の後をバビーくんが付いてまわっていたこと。

●バビーくんと遊ぼうとしたら「ホレッ!」と大きなウシガエルを持ってきてびっくりさせられたこと。

●バビーくんが『ダイスキチャン』と呼んでいた男の子は日本の大学を卒業後、アメリカの大学で電気ナマズと電気ウナギがどうやって電気を発生させるかを研究するようになったこと。(いずれ小学校へお話に来てくださるかもしれないです!)

●流星号を作った男の子はフランスへ渡りF1のレーシングチームの監督になり活躍されたということ。さらに今はドイツで俳優業をなっているということ。

●何年か前に同窓会である同級生が「平和学園の校歌を何番まで歌えるか競争しようぜ?」という提案をし、みんなで歌っていったら最後まで歌うことができたのは『山本さん』で、12年間校歌を歌い続けた実力を発揮したということ。

・・・楽しいエピソードの数々に子どもたちはどんどん引き込まれていました。

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「・・・40歳になっても50歳になってもみんなで会うことを楽しみにしています。みんなで集まって小学生の頃のことを話したり思い出しながら、本当に楽しい時を過ごしています。アメリカ・フランス・ドイツに行ったお友だちとは今はちょっと会えないのでちょっと寂しいなぁと思うけれども、同窓会には当時の担任の先生も来てくださって騒ぐみんなをニコニコしながら見ててくださっています。

皆さんもこの学園でたくさんお勉強して、そしてお友だちといっぱい遊んで、何年たっても私のように『小学校の時にはこんなことがあったな、あんなことがあったな』と思い出に残るようなことをやってみてください。

60年たっても、ふとした時に思い出します。皆さんも上級生・下級生に関わらず楽しい思い出を沢山たくさんつくってください。そして、何年かたったら私のように此処で小学校の皆さんにお話ができるように、楽しい体験をしていただけたらなと思います。今日は皆さんにお話を聞いていただけてとても嬉しく思いました。ありがとうございました。」

山本さんのお話をうかがい、長い年月を経てもこの学園に流れ続けるやわらかであたたかな空気がグレーニアホールを通っていくような感覚を覚えました。

最後に共に祈り、そして校歌を歌いました。

当時の小学生たちの様子がわかるお話や卒業生のその後のエピソードなど、山本さんならではの貴重なお話を本当にありがとうございました。