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れんらく帳

2021年12月 9日

2年ぶりの修学旅行(3日目 その1)

昨日の雨が嘘のような晴れ渡った朝を迎え、6年生たちは朝ごはんを美味しくいただき、三浦半島のホテルを出発しました。

修学旅行3日目は『観音崎公園・砲台跡』見学からスタートしました。

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晴天にはなったものの風は強く冷たいものでした。そのような中、ボランティアの方々はとても熱心に公園内を案内してくださいました。

そして海岸のほど近くから公園散策は始まりました。園内の道を歩き始めると目の前に急な登り道が出現。ほとんど登山道というような傾斜で、付き添い教員は息が荒くなりました。子どもたちは...説明を聞きながらどんどん登っていました。さすがです。

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登りきると第一砲台跡が出現しました。

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砲台跡の周囲は木々が生い茂り、その中にコンクリートと大きく立派な御影石でつくられていました。砲台の外壁は高さ1m位に掘られていました。明治開国から昭和にいたる年月の中でただの一度も使われることのなかった非常に高価な砲弾を格納していた場所だったそうです。

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この観音崎一帯の地質は約200~400万年前に形成された堆積層だそうで、灯台へ至る途中で多くの地層を見ることもできました。さらに何十センチも地層がずれた断層も見ることができました。

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灯台へ到着すると眼前に素晴らしい眺望がひろがりました。・・・そしてこの地に巨大な砲台が何基も設置された理由がはっきりと分かりました。(砲台跡は木々に囲まれていて見晴らしはよくありませんでした。)

それは、対岸には房総半島を望み、そのなかを行き交う色々な船舶が見えたからです。いにしえの人々が黒船の来航とともに開国を余儀なくされ、並み居る海外の軍船の前に江戸の町が無防備にならないように・・・と砲台設置を急いだという訳です。

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3代の長きにわたって行き交う船の目印になってきた灯台見学をした後は、他の砲台跡とそれらをつなぐレンガ造りの通路そして、つるはしを使って手掘りで開通させたトンネルなどを見学して回りました。

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時間的にはギリギリでしたが、最後に園内南側に設置されている『戦没船員の碑』を訪れました。

ここは、戦時中に攻撃を受けて沈没したり犠牲となった一般の方々を慰霊する目的で建てられたそうです。そして海運や水産業に携わる中で亡くなられた方々の慰霊だけでなく、二度と戦火のない海洋永遠の平和を祈念するためという大事な目的もあります。

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この場所を訪れたことで、海に関わる仕事に就かれていた一般の多くの人々も戦争の犠牲になって亡くなられたという事実があったということを知り、その方々のことをおもって祈り、このことを心に刻む時となりました。

また、案内してくださったボランティアの方のしてくださった最後のお話が深く印象に残りました。

「・・・戦争では多くの若い命が失われたけれども、私の父も従軍し、知覧(鹿児島、特攻隊が出撃した飛行場)で整備の仕事をしていました。その後満州に配属され終戦を迎えた。あと3日、日本へ引き揚げるのが遅れていたらシベリアへ送られていただろうと言っていたから、そうなっていたら(息子である)私はいなかったかもしれない。・・・こういったことが当時、本当にたくさんあったんだよ・・・」

戦前戦後の時を経て・・・ここにも人生を背負い平和へのおもいを抱いてボランティアの活動を一生懸命にしてくださっている方がいる、と感じました。