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平和学園からのお知らせ

2012年5月22日

聖書と教育実践 第3号  学園長

初めての「手だて」は、神の想いを実現するものであった
教育の手立ては、子どもの育ちを実現するものである

 

創世記 2章18節~25節
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形つくり、人のところへ持って来て、……自分に合う助ける者は見つけることができなかった。……そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。


 神は、「人を助けるものを造ろう」と決心した。きっと、私(神)がいつも救いの手を差し伸べるよりも、互いに協力し合いながら男が自立(律)していくのがよいと考えたのだろう。そこで神は、具体的に手を講じたが、人を助けるものを見つけることができなかった。教育では手を講じることを手立てと呼んでいる。神が講じた手立ては、「あらゆる獣・鳥」とあるから、半端な数ではない。それを一つ一つ行なったのだから、神の熱心さには頭が下がる。ところが神様でもうまくいかない連続であった。神でも失敗するのだと少々安堵しながらも、神の人に対する愛の深さをみた感がする。聖書には、我々人間に対して行った神の手立てが数えきれないほど書かれている。その究極の手立ては、我が子イエスの十字架であろう。私たち教師は、幾十もの手立てを考えて実行し、子どもにとって最良の手立てを見いだす努力をしながら授業展開をしているであろうか。教育にとってよりよい手立てを考えることは教師の務めだと思う。「教育にとって手立てとは何か」を、前回の図版を基に考えてみよう。

 

手立て

2012_05_22_01.jpg① 手立てとは、具体的なものであり、行動を起こさせるものである。

 

② 手立てとは、それを子どもが使うことによって、教師を頼らず自分で学びを進めていけるものである。

 

③ 手立てを使って学んだ結果、ねらいや願い(子ども像)が達成されていくものである。したがって、手立てはねらいや願いを実現するものでなければならない。

 

④ 子どもが壁にぶち当たった場合、教師はこまねいていてはいけない。適切な手立てを指し示すことが教師の大切な役割である。

 

⑤ したがって、学習の壁を乗り越える種々の手立てを工夫するのが教師の仕事である。そのためには、アイデアに富んだ教師になることである。

 

 私立学校では、子ども像に対応するのが建学の精神である。本学園で働く者は、建学の精神を踏まえて、自分自身の子ども像(教育観)を描くことが大切である。かまえについては、キリスト教主義の学校であるから、イエス・キリストの姿が投影されるように努力することである。

 

 手立ては無尽蔵である。一人で工夫するもよし、共同で工夫するのもよい。使ってみて、この手立ては有効であると思うものは、ぜひ他の人にもお裾分けをしてもらいたい。そして様々な手立てを使いながら、平和の子供達を、アレセイアの生徒達を豊かに育てていきたいものである。手立ての質が教育のポイントである。

 

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