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平和学園からのお知らせ

2016年7月22日

アレセイアの輝き 第142号

=平和学園からのメッセージ=         2016年7月20日(水)

アレセイアの輝き

アレセイアとは新約聖書ギリシア語で「真理」という意味です。

月 報 No.142 学校法人平和学園 キリスト教教育センター

 

 

「神の手のひらの中に」 学園宗教主任 横山厚志

「見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける。」(イザヤ49:16)

 

  私たちには名前があります。名前は私たち自身を表すものです。私たちは自分の名前の意味を付けた人から、聞いたことがあるでしょうか。人は、自分の子の名前を付ける時に、深く悩み、どのような名前にしたらいいのか考えると思います。その名前が生涯、その人そのものを表すからです。

旧約聖書のイザヤの時代ですが、イスラエルの人々にとって辛い時代を迎えることになりました。それは、神はイスラエルの人々と共に歩んでくださると信じていました。イスラエルの人々は、約束の地に住み、エルサレムには神殿がありました。神の民として、イスラエルの人々は歩んでいました。神の民としての栄光は、永遠に続くと信じていました。それが、バビロニアが攻めて来て、イスラエルの人々は約束の地を失うことになりました。それだけではなく、神殿も破壊されてしまい、更に多くの人々が、敵の都バビロンに奴隷として連れて行かれることになったのです。これが、「バビロン捕囚」という出来事です。 

「シオンは言う。主はわたしを見捨てられた。わたしの主はわたしを忘れられた、と。」(イザヤ49:14) 

まさに、神に見捨てられたと思うような状況でした。しかし、そのような状況になって初めて、イスラエルの人々は本当の神の御心を知ることができるようになりました。 

「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。」(イザヤ49:15) 

神はイザヤを通して、神の言葉を語ります。神とイスラエルの関係を母親と子の関係で語っています。母親が自分の産んだ子を忘れることがあろうか。そのようなことは決してない。母親は自分の産んだ子を憐れむだろう。その通りだと思います。でも、いくら母親でも人間ですから限界はあります。母親は自分の産んだ子を忘れてしまうことがあるのです。ここでイザヤは、人間の限界を言っているのです。でも神は決してイスラエルの人々を忘れることはないと断言します。バビロン捕囚という現実の中で、イザヤは神の言葉をイスラエルの人々に語り続けます。そして、次の言葉になっていきます。 

「見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける。」(イザヤ49:16) 

イスラエルの人々を神はその手のひらに刻みつけると言っています。それだけ、神の愛が深いと言うことを私たちは知ることができるのです。この神のイスラエルの人々に関する内容を、私たちの名前に置き換えることができると思います。私たちの名前には、私たち自身の存在があります。私たちの人格そのもの、存在そのものです。そのことが人間の中では見失われることがあります。しかし、私たちを、創造してくださった神は、私たちの名前を、神の手のひらに刻みつけていてくださっているとイザヤは言うのです。聖書は、神の愛が語られています。神はここまで私たち自身の名前を、しっかりと受け止めてくださっています。そのことを忘れずに歩んでいきたいと願います。

 

 

平和学園幼稚園  「夕涼み会」

 一学期の終わりに夕涼み会を行います。夕涼み会は毎年、子どもたちが作り上げています。その中で行う魚釣りゲーム用の魚も各学年紙袋を用いて子どもたちが作ります。年中組は障子紙を折ったものの角に絵の具を浸して作った染め紙を切り、それをうろこに見立てて魚を作りました。うろこの大きさや色合い、目の形なども様々で年中組らしい個性豊かな魚が出来上がりました。園庭には螺旋状に切った色とりどりの飾りが夕涼み会を盛り立ててくれました。

 また、保護者の方と一緒にダンスも行いました。保育中に音楽をかけ、そのときの子どもたちの動きを一つ一つ組み合わせてダンスを作ります。今年は、ウルトラマンのポーズや波を表現した動きなどをもとにダンスを作りました。暑い夏の夕方、保護者の方と楽しいひとときを過ごしました。

 

 

平和学園小学校  「母たちのお話会」

今年度より平和教会の大澤牧師をお招きして、月一回「母たちのお話会」が行われています。お母様たちと賛美をしたり、聖書の話に耳を傾けたり、子育てや子どもを見つめる私たち大人の考え方についていろいろお話をしています。大澤先生は「今日の聖書の箇所を読んでみてみどうですか?」と問いかけられます。「聖書の話がすっとは自分の中に入ってきません。」とお母さまたち。大澤先生も「そうですよね~」と答えます。教会での説教ではありませんので、会話をしながら、いろいろな経験談を話しながら、ゆっくり聖書の話を噛み砕いていきます。すると、いつの間にか、聖書の話の中に入っていることに気付かされます。そして、いつの間にか聖書の真理が見えてきます。聖書の言葉が身近になったように感じるお話会、来学期も行われます。

 

 

アレセイア湘南中学校  「中1・中2 修養会」

 6月20日から22日に天城山荘において、中1・中2の修養会が行なわれました。

 今年の主題は「出会い~イエス様ってどんな人?」です。校長先生における主題講演、「ミラクルメーカー」のDVD鑑賞、友達の発題などをとおして、グループごとに「イエス様の生き方や考え方」「イエス様はどんな人なのか」「イエス様の生き方をどのように学校生活に生かして過ごしたらよいのか」意見を出し合い、まとめ、それを発表しました。

 あいにくの悪天候で、楽しみにしていたハイキングはできませんでしたが、体育館でレクリエーションを行なったり、チャペルで讃美歌を歌ったりと、充実した3日間となりました。 

 

 

アレセイア湘南高等学校  「野球部の応援を通して」 

7月16日(土)午前11時から東海大相模との試合がサーティーフォー相模原球場でありました。結果は残念ながら負けてしまいましたが、野球部の選手たちは全力で強豪校である東海大相模にぶつかっていきました。選手たちの一生懸命に試合に臨んでいる姿がありました。試合後に球場の外で、野球部の方からの挨拶がありました。F部長は挨拶の中で涙をこらえて話してくださいました。全力を出し切ったから、できることだったのでしょう。試合中、吹奏楽部の皆様、ダンス部の皆様、そして生徒会の皆様、一般の応援の皆様、保護者や卒業生などの皆様が、熱い中、心を込めて応援しておりました。野球部の試合で、多くの人たちの応援があり、できているのです。1つの目標に向かって、多くの人々が力を合わせて取り組んでいる姿に感動がありました。

 

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