春の歌がいろいろなところから聞こえてきます。ちいさな草花から、鳥たちのさえずりから、アリのちいさな行進から。あたたかくなることはうれしくて、白ヤギのリリは、餌のしまってあるケースの上に座り寛いでいます。なんとも羨ましいとのどかな光景に春のうれしさがあふれます。
あたらしい季節の訪れとともに、幼稚園の子どもたちは、ひとつ大きくなりました。子どもたちにとってひとつ大きくなることは自信を積み重ねるきっかけの一つと言えます。
元あんず組の子どもたちが、年少組に進級しました。身体も心も大きくなって少し手狭に感じられるようになった乳児室から旅立つその姿は青虫が蝶に変わるくらいの大きな変化があるように思います。今までは、"先生と一緒に"だった世界が自分たちの当たり前の世界になるのですから...。金魚の水槽の前に立って「ごはん、あげたい」と主張し、ちいさな手でちいさな餌を摘まんで水面に一つひとつ落とし、パクパク餌を食べる金魚に夢中になっています。なんとも自信ありげなその姿、微笑ましいものです。
年中組・年長組の子どもたちは、より具体的に大きくなる自分をイメージしていることでしょう。年少組で入園してくる弟妹のお手本になろう。泣いている子がいたら慰めてあげよう。迷っている子がいたら名札の色を見て保育室まで連れて行ってあげよう。"新しいちいさい子"がやってくるという実感とこんな自分になっちゃうぞ!という想像。さあ、どうなっていくでしょうか......?弟を慰めに行ったのに泣いている弟を見たら自分もママを思い出して泣いちゃった。泣いている子に声をかけたら、何もしてないのにもっと泣かれちゃった。手をつないでいこうとしたのに、全然動いてくれない。うまくいくに違いない、ぼくやわたしはできると思っていた自信が崩れる瞬間があります。
誰だって〇年生になったから、〇歳になったから、といって急激に何かができるようになるわけではありません。成功も失敗も体験しながら"年中"や"年長"になっていきます。まわりで見ている私たちは、そんなアンバランスな状態にいる子どもたちをどんな風に見守ったらいいでしょう?このアンバランスさは、子どもたちが「自分以外の誰か」という存在に、本気で向き合おうとした証拠でもあります。例えば、うまくいかなかったとき、そこには新しい「問い」が生まれます。「どうして自分が泣いちゃったのかな?」「次はどうすればちいさい子を慰められるかな?」。大人が先回りして正解を教えたり、「まだ無理だったね」と片付けたりするのは簡単です。けれど、本当の育ちが始まるのは、その「失敗」のすぐ後にある「次はこうしてみよう」という試行錯誤の中にあります。「大きくなったから完璧にできる」のがゴールではありません。やってみて、失敗して、また考えて、もう一度やってみる。その繰り返しの中で、子どもたちは自分なりの「作戦」を編み出していきます。昨日は泣かせてしまったけれど、今日は隣に座ってみることにしよう。今日は手を繋げなかったけれど、明日は好きそうなおもちゃを持って行ってみよう。そんな泥臭い「次」へのステップこそが、自信の根っこに栄養を与えます。
まわりで見ている私たちは、慌てて手を貸しすぎる必要はないのかもしれません。子どもが自分自身で「次」を見つけ出そうとするその背中を、ただ「次はどうするのかな?」とワクワクしながら見守る。もし行き詰まっているようなら、「一緒に考えてみようか」と横に座る。完璧じゃないからこそ、面白い。うまくいかないからこそ、「次」が楽しみになる。そんな風に、子どもたちが経験を糧にして、自分たちの新しい世界を切り拓いていくプロセスを、今年度も一番近くで応援できる喜びを教職員一同抱えて保育に臨んでいきたいと思います。
子どもたちが、幼稚園で経験することを通じて学び、成長へつなげていくためには、まわりの大人の見方が重要でそれによって価値が大きく変わります。何てことのないように見える子どもたちの遊びの中に、生活の中に、人間関係の中に、どれだけの育ちの要素を見出せるか。そこに、かかってきます。まずは保育者がそこに謙虚に真摯に取り組み、子どもたちの育ちを支えられるように。そして、おうちの方々が、わが子に限らず「子どもってすごい。」「子どもとともにいるって、おもしろい!」と感じていただけるように努めていきましょう。おうちの方々へ、先生方へ、メッセージです。