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平和学園からのお知らせ

2017年3月17日

アレセイアの輝き 第146号

=平和学園からのメッセージ=         2017年3月17日(金)

アレセイアの輝き

アレセイアとは新約聖書ギリシア語で「真理」という意味です。

月 報 No.146 学校法人平和学園 キリスト教教育センター

 

善いサマリア人の例えから学ぶ

学園宗教主任 横山厚志

律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。

「行って、あなたも同じようにしなさい。」  ルカによる福音書10章37節

 

 ここはイエス様が語られた多くの例え話の1つですが、よく知られている「善いサマリア人の例え」と言われているものです。ある人がエルサレムからエリコまで下って行こうとします。その道の途中で追いはぎに襲われてしまい、服をはぎ取られ、殴られ、半殺しにされたまま道端に倒れてしまいました。突然の不幸がその人を襲ったのです。誰かに助けてもらわなければ、命の危機にありました。道端に倒れている人の所へ当時のユダヤ教の指導者であった祭司がやってきました。祭司はその人を見ると、道の向こう側を通って行ってしまいました。次にやって来たのがレビ人です。レビ人もその人を見ると、道の向こう側を通って行ってしまいました。次にやって来たのが当時ユダヤ人と敵対していたサマリア人でした。サマリア人は倒れている人を助けました。

 この例え話は、私たちに、そのサマリア人のように「行って、あなたも同じようにしなさい。」とイエス様が言っていると考えられます。私たちが、苦しんでいる人や辛い状況にいる人を配慮し助ける者になることは、とても大切なことです。しかし、聖書はそのようには言っていないのです。もし私たちが正しいことをできるようにすることを求めているのでしたら、イエス様がこの世にくる必要はなかったのです。イエス様が十字架につく必要はなかったのです。この例え話を読み取るカギは、追いはぎに襲われた人は誰か、善いサマリア人は誰かを知ることです。

 この「善いサマリア人」のたとえですが、追いはぎに襲われた人は誰でしょうか。私たち自身です。聖書は、私たち自身は罪人であると言います。そのために傷つき半殺しのままの状態で道端に倒れています。このままでは死を待つだけです。誰かに助けてもらわなければ大変なことになります。祭司、レビ人は通り過ぎるだけで助けることはできませんでした。サマリア人、実はイエス・キリストです。旅をしていたサマリア人は、傷つき倒れている人のそばに来ると、その人を憐れに思うのです。この「憐れに思い」という言葉はもともと「はらわたが痛む」という意味で、人間の内側から沸いてくる自然な感情を表したものです。「近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に行って介抱する。」サマリア人の行為が具体的に書かれてあります。私たち自身が、傷つき倒れている人であること、そして助けたサマリア人がイエス様であることを、どのようにしたら知ることができるのでしょうか。イエス様の手当てによって、私たちは助けられたのです。助かった私たちに対してイエス様が、今度は「行って、あなたも同じようにしなさい。」と言っておられるのです。この例え話は、私たち自身が傷ついた旅人であること、そして助けたサマリア人はイエス様であること、そして、イエス様によって助けられた私たち自身が、傷ついた人を癒すことができる者とされたのです。

 

平和学園幼稚園

「ありがとう年長さん」

 長い間幼稚園の中心となり行事はもちろん遊びのリーダーとして飼育物のお世話やおそうじの方法を教えてくれた年長さんに、年中組の子どもたちからお礼がしたいという意見がありました。「ごはんを一緒にたべたい」「お花をあげたい」「クッキーをつくってあげたい」「手紙をかきたい」などたくさんの意見があがりました。そして子ども達と話し合った結果、だしをとってお吸い物を作り一緒におべんとうを食べること、みんなでお花を作ってコサージュをぷれぜんとすることにしました。年長さんへの感謝の気持ちをつくったコサージュは“今までありがとう学校へ行っても元気でね!!”という言葉を添えて届け、卒園式当日、ひとりひとりの胸元で誇らしくコサージュがゆれていました。(年中教師)

 

平和学園小学校

「イエス様につながるということ」

 3月8日の朝の児童礼拝は、今年度最後の大澤牧師による礼拝でした。6年生にとって大澤牧師のメッセージは最後となります。聖書はヨハネ15章5節『わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。』でした。大澤牧師は、イエス様とつながるということは『祈ること。聖書を読むこと。教会に行くこと。』とお話ししてくださいました。卒業して、平和学園と直接的なつながりはなくなります。しかし、ぶどうの枝である卒業生がぶどうの幹であるイエス様につながっていれば、卒業してからもみんなとつながっていることになります。卒業する平和の子たちはこの学び舎を巣立った多くの先輩と同様に、イエス・キリストにつながり、栄養をもらい、行く先々で豊かに実をつけてくれるでしょう。

 

アレセイア湘南中学校

  「生徒礼拝『聖書と私』」

 3月の最後の中学礼拝では、中学課程を卒業していく2名の3年生が『聖書と私』と題して話をしました。それぞれが好きな聖書のなかから選んだのは、ルカによる福音書の「善いサマリア人」、コヘレトの言葉の「何事にもときがあり…」の箇所でした。

 中学生活3年間の中には、つらい経験もあったようです。けれども、周りの友達や先輩、先生、家族に優しい言葉にはげまされて乗り越えることができた、と話していました。そして、二人どちらもがこれからも周りの人のことを思いやって支え合い、正しいことを「実行」しようと思っていることに感心しました。

 

アレセイア湘南高等学校

  「卒業礼拝、卒業式を終えて」

 今年度は、卒業礼拝が2月24日に、そして卒業式が3月1日に行われました。

卒業礼拝では、日本基督教団茅ヶ崎平和教会の大澤秀夫牧師より、「人生でいちばん大事なこと」と題されたお話をしていただきました。アレセイアとつながりの深い牧師先生に卒業生を送り出していただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

 卒業式の式辞では、「悩みのある日は神に祈り喜びの日は神を賛美してまっすぐな道を歩いて下さい。」という村島帰之先生の言葉の真理を学びました。卒業生たちが、神さまの愛を覚え、感謝して神さまと共に生きてゆけることを願います。卒業式後、卒業生たちは晴れやかな表情をして学び舎を去ってゆきました。それぞれの思いの込もったよい旅立ちの時となりました。