秋の彩り、というと、見上げた先の紅葉を思い浮かべます。けれど、子どもと一緒なら、足もとにも目を向けてみるとおもしろそうです。赤い葉っぱ。黄色い葉っぱ。少し破れた葉っぱ。靴の下で、かさっと鳴る葉っぱ。木についていたときには見分けられなかった一枚が、手に取ってみると、ほかのどれとも違うものに見えてきます。色も形も、触った感じも違います。くるんと丸まったものや、虫に食べられて向こう側が見えるものもあります。きれいな葉っぱを探していたはずなのに、いつの間にか、穴の開いた葉っぱの方がおもしろくなってしまう。そんなこともあります。
子どもが一枚の葉っぱを選ぶとき、何がその子の心を動かすのでしょう?大人の目には、周りのものと同じように見えるかもしれません。でも、その子にとっては、わざわざしゃがんで手を伸ばした一枚です。そこには、その子なりの「これがいい」があるのでしょう。
「どこがよかったの?」
聞いてみたくなります。思いがけない答えが返ってくるかもしれませんし、うまくことばにならないこともあるかもしれません。本人にも、理由はよくわからないことだってあるでしょう。私たち大人にもありますものね。説明はできないけれど、なんだか好きなもの。そんなときは、答えを急がず、一緒に眺めてみる。「ここに穴が開いているね」「私は、この色が好きだな」。話しているうちに、その子が見ていたものが少しわかることもあるでしょう。反対に、大人のひと言で、子どもがそれまで気づかなかったところに目を向けることもあるかもしれません。同じ一枚を見ながら、お互いの見ているものを知っていく。ほんの短いやりとりですが、人と関わるおもしろさが、そこにもあるように思います。
とはいえ、子どもと歩くと、なかなか前に進みません。立ち止まって、拾って。また戻って。さっきも拾ったのに、まだ拾う。大人には、帰ってからの段取りがありますよね。夕飯の支度も、お風呂も、そのあとのことも。頭の中ではもう家に着いているはずなのに...。目の前の子どもは、まだ一枚の葉っぱを選んでいる。ついつい、「早くしよう」と言いたくもなります。子どもの時間を大切にしたいと思うことと、いつでもそれに付き合えることは、また別の話です。日々の暮らしの中には、待てるときも、待てないときもあります。十分に付き合えなかったなと、あとから思い返す日もあるでしょう。だから、少し付き合えるときに。「何を見つけたの?」そう声をかけて、隣にしゃがんでみるくらいからでよいのだと思います。
親子の時間というと、どこかへ出かけたり、何かを用意したりすることを思い浮かべるかもしれません。そうした時間も楽しみです。でも、いつもの帰り道で、同じ音を聞いて笑ったり、拾ったものを見せ合ったりする時間にも、心が通う瞬間はあります。特別なことをしなくても、一緒におもしろがれることは、案外、身近なところにあるのでしょう。
私たち大人は、子どものことをよく知っているように思ってしまいがちです。しかし、毎日のように変わり、世界を広げている子どもたちのことについて、本当はまだ知らないことがたくさんあります。「この子は、こういう子」と思っていた、その少し先に、新しい好きなものや、その子なりの考えが生まれているのかもしれません。差し出された葉っぱ一枚を、ちょっと見てみる。それは、今、目の前にいるその子を知る、小さな入口にもなるのだと思います。大人の私たちも、子どもに教えてもらいながら、一緒に過ごす時間を楽しめたらと思います。秋の彩りは、見上げた先にも、足もとにも。そして、ときどき、ぎゅっと握られた小さな手の中にも...。何を持っているのでしょうね。ちょっと、見せてもらいたくなります。