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2017年11月 1日 アレセイア通信

アレセイア通信 2017年11月号

ノーベル平和賞とは?
 
 昨年度は学園創立70周年でした。それを契機に、この通信でもお二人の言動を追いながら原稿を書いてきました。前号でも、賀川先生が考える平和の問題解決を基礎として現代における「平和」について述べさせていただきました。今回は、本学園の創立者である賀川先生のノーベル平和賞に係る顛末に触れてみたいと思います。
 
 ノーベル賞のうち文学賞、医学生理学賞、物理学賞、化学賞、経済学賞は、ご存知のようにスウェーデンのアカデミーや研究所等で選考されますが、平和賞だけはノーベルの遺言により隣国の友好国であるノルウェー・ノーベル平和賞委員会が選定しています。私たちの学園を創ってくださった賀川先生は、社会活動家、キリスト者、平和運動家として、そのお名前は世界中に知られ、1954年、1955年、1956年と三度も平和賞の候補に挙げられてないがらも(文学賞候補にも、1947年、1948年に挙げられていました)受賞を逃しました。
 
 そこで、最後の望みをかけて「賀川豊彦ノーベル平和賞候補推薦委員会」が国内で発足し、1960年1月に推薦状がノルウェーの平和賞委員会に送付されました。実は当時すでに賀川先生は病床に伏せておられ、多くの知人や友人たちは励ましと再起の意味もあり、世界中に推薦署名を求める運動が始まりました。推薦委員会としては、国内から1500名、海外から500名の著名人からのものを集める計画でした。しかし、残念ながら周囲の「再生の日近し」との期待もむなしく、1960年4月23日、賀川豊彦先生は逝去されました。そのため、推薦員会は活動を止め解散することになりました。この運動に関する詳細は賀川豊彦記念松沢資料館で頒布している「賀川豊彦 人と働き」に編集されています。
 
 マララさんの受賞は心から喜べましたが、最近のノーベル平和賞はどうも政治的な色彩が反映され、疑問を感じてしまう受賞者が含まれていることも否定できないのではないでしょうか。おそらく、あの推薦活動が実を結べば確実に受賞し、日本人として胸を張って誇ることができたのですが、ノーベル賞は生存者に向けたものなので対象になりませんでした。また、第二次大戦前から世界各地で平和の大切さについて講演に歩いていたので、ある意味、賀川先生は国内よりも海外での評価が高かったようです。世界各地に残された賀川先生の足跡を追い、探究してみると、世界平和を実現しようと活動していた先生の思いや哲学に触れることができるのではないでしょうか。その資料の一部は、本校センターホール2階の資料室や北キャンパスにある図書室で見ることができます。特に、賀川先生は多くの著作を残されているので、そこから学ぶことができるかも知れません。機会があれば一度手にしてみてください。私も様々な原稿を書く際に目を通すようにしています。
 
 私たち学園全ての生徒、教職員は賀川先生の遺志を実現するための後継者としての自負と責任を堅持する必要があるのではないでしょうか。
 
学校長 武部 公也
 

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