校長室から(アレセイア通信)2016年2月
誰が風を見たでしょう(2015.6.5 礼拝講話要旨)
『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。
… ヨハネ福音書 3:7~8 …
1. はじめに
御殿場東山荘の高一修養会では鳥のさえずりと共に風に揺れる木々の葉音が良く聞こえました。私たちも静まって耳を凝らすと今まで聞こえなかった音が聞こえてきます。
2. 小学校で学んだ歌
私の小学校時代は,かれこれ60年前となります。その時代に習った一つの歌が強く印象に残っています。私の記憶にある歌詞は「誰が風を見たでしょ 僕もあなたも見やしない けれど木の葉を震わせて 風は通り過ぎて行く」というものです。歌ってみましょう(歌う)。曲も素晴らしく、当時の小学校で学んだ他の曲と全く違った印象を受けました。
3. 出典を知る
私は高校生で聖書にふれ、キリスト者となりました。ある時、この曲の歌詞が先程読んだヨハネ福音書3章7節から来ていることに気づきました。聖書の題材を一行詩に昇華させた多くの詩人がいます。そうした詩に曲をつけたものが第二次大戦後の日本の小学校で音楽教材に取り入れられたものだと思うのです。それにしても日本語訳も素晴らしいと思います。
最近、ネットで調べたところ、この詩は英国人女性クリスティーナ・ロセッティがその詩集sing a songの中に載せたものを西条八十が訳詞し、「赤い鳥」運動に関わっていた草川 信が曲をつけ、童謡集の中で発表したものだそうです。
(訳詞) 1.誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木(こ)の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく
2.誰が風を見たでしょう
あなたも僕も見やしない
けれど樹立(こだち)が頭をさげて
風は通りすぎてゆく
(原詩)1. Who has seen the wind ?
Neither I nor you;
But when the leaves hang trembling
The wind is passing thro’.
2. Who has seen the wind ?
Neither you nor I ;
But when the trees bow down their heads
The wind is passing by.
4. 聖書の意味
ロセッティの詩は文頭にのせたヨハネ福音書3章7~8節の聖書に由来しているのは間違いないと思います。この箇所は主イエスとニコデモの対話の一部です。ニコデモは地位の高い高名なユダヤの宗教指導者・議員、しかし「新たに生まれなければならない」とのイエスの言葉にとまどいます。その時に主イエスは「新しく生まれるとは神によって新たに生まれる。神の霊(聖霊)によって新たに生まれる。」ことであると語られ、風が吹きその音を聞くことにたとえられたのです。
5. 終わりに
「風は見えない。でも確かに吹いている。木の葉を震わす音でわかる。」 「神は見えない。でも確かにいらっしゃる。木の葉ならぬ私を新たに生かして下さっている。」 とは私の体験です。人として私たちの中に住まわれた主イエスのご生涯を通して私たちは主なる神を見ることができ、主イエスとの出会いによって新しく生まれ、神の霊(聖霊)の内在によって日々新しくされて生きることができるのです。
学校長 飯塚正秀
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