ホーム > ニュース > アレセイア通信2019年3月号

ニュース

2019年3月 1日

アレセイア通信2019年3月号

日本協同組合同盟の発足

 前号で賀川先生と協同組合について述べました。賀川先生は「世界を一つの協同組合経済とすることでしか世界平和はもたらされない」と主張されました。

 戦時中に政府は配給制度を導入し、以前からあった消費組合(生協)は解散させられて、闇で物資が流れるようになり、闇で買い物をしない正直な人は飢え、農村や漁村には闇で物資を買おうとする人があふれる事態となりました。終戦を迎えた日本では、焼け出された人々は焼け跡に建てられた仮設の建物(バラック)で雨露をしのぎ、闇の物々交換でその日暮らしを強いられていました。そして、政府は配給を遅配させているにもかかわらず、闇経済を取り締まりました。我慢の限界を超えた人々が自衛のために立ち上がった運動の一つが「米よこせデモ(運動)」でした。

 その頃、戦前から消費組合を設立し、日本国内だけでなく海外においても協同組合経済の有効性を説き続けてきた賀川先生のほかに、戦前から協同組合を率いてきた山本秋(やまもと・おさむ)氏、農民運動指導者の鈴木満洲雄(すずき・ますお)氏らも、個々に活動を展開していました。これらの協同組合運動には政治的な違いなどがありましたが、同時に、日本全体のためには分裂してはならないという意識もお互いに持っていました。その結果、賀川を議長とする「協同組合運動再建懇談会」が開催され、会合を重ねる過程で新組織(「日本協同組合同盟」)の結成が決まり、賀川先生が初代会長に就任されました。この同盟は政党の枠組みを超え、会員の政治的意見も自由な組織でした。同じ時期に、農民運動や労働運動の分野でも、同じような統一路線が模索されましたが、様々な意見の違いや対立のために成立しませんでした。その意味でも、協同組合の統一は画期的なものでした。この同盟は全ての協同組合を包括する組織として発足しましたが、その後の法整備によって個別化されることになりました。そして、一時的に大きな役割を果たした「日本協同組合同盟」は解散し、1951(昭和26)年に新たに「日本生活協同組合連合会」(日本生協連)が創立されました。創立宣言では「平和と、より良き生活こそ生活協同組合の理想であり、この理想の貫徹こそ最大の使命である。」と述べられています。この宣言が示しているのは、社会活動家としての賀川先生の意志が強く反映されたものです。

 現代社会においては、生協運動の広がりと重要性は国民から高く評価され、私たちの生活の安定に大きく貢献しています。その基盤を構築した賀川先生の先見性は高く評価され、国内外の研究者によってその業績を通して先生が実現を目指していた「世界平和」への道が研究されています。

学校長  武部 公也