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2018年7月 4日

アレセイア通信2018年7月号

被災地に何が必要か?
 
 東北地方を中心に経験したことがないような大きな地震や津波が襲った7年前、君たちはどこで何をしていたのでしょうか。私は病で麻痺した左半身のリハビリをするために入院中でした。揺れが収まってからテレビを見ていると、東北地方の沿岸に大津波が押し寄せ、家や車が流される様子を見て心が痛みました。何もできずに、病室のベッドに座って悲惨な状況を呆然と見ていました。あれから月日がたちましたが、残念ながら未だに避難住宅で生活している人が少なくない状況です。癒されない心のままに生活されているのではないでしょうか。
 
 1923年(大正12年)9月1日午前11時58分関東大震災が発生しました。ちょうど昼時だったので、火災による被害が大きかったようです。震災発生を翌日の新聞で知った賀川先生は、体調が万全でなかったにもかかわらず、居ても立ってもいられず、その日の午後に神戸から船で横浜へ向かいました。先生が東京に着いた時は、まだあちこちで炎が上がり混乱は収まっていませんでした。臨時震災救護事務局を訪ね、現金や衣類が緊急に必要であることを聞き、すぐに神戸から送ることを約束しました。一旦神戸に戻った賀川先生は仲間が集めた物資を東京に送ると共に、関西地方だけでなく中国、九州において連日連夜、講演会を開催し、自分が見てきた震災の状況を語り、どんな支援が必要かを訴えました。
 
 そして、10月7日、再び上京した賀川先生は最も被害の大きかった江東地域を訪ね、被災者を救うには一時的な支援で終えてはならないと決意されました。そのために、本所区(現在の墨田区南部)本所松倉町に本拠地を置き、本格的な救援活動を開始しました。そこを拠点とし、無料医療診療所を開設するだけでなく、当時の東京市や日本赤十字社と連携して牛乳や栄養食の配給、衣類・寝具の提供を行いました。さらに、法律相談などにもあたりました。そして、この救援活動を進めながら、東京の各地で講演会を開催し「東京は必ず復興する。今はつらいが一緒に助け合っていこう」と人々を熱く、強く励まし続けました。
 
 この被災者に寄り添う姿勢は、近年の阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震における支援のモデルになったと言われています。また、その救援活動は一時的なものに終わらず、本所地区での医療・保育・教育などの広義の社会事業に受け継がれました。さらに、時を経てその事業が中ノ郷質庫信用組合や、協同組合保育園が光の園保育学校として結実しました。この一連の働きを見た地域住民は「人間業(わざ)と思えない働き」として賞賛したそうです。私たちの学園を創立された賀川先生は、教育者としてだけでなく、社会事業家として戦前・戦中・戦後に活躍されました。
 
学校長 武部 公也