ホーム > ニュース > アレセイア通信 5月号

ニュース

2015年5月 7日 アレセイア通信

アレセイア通信 5月号

       「主は羊飼い。わたしには、何も欠けることがない。」
 

 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主は私を青草の原に休ませ憩いの水のほとりに伴い魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖それがわたしを力づける。わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎわたしの杯を溢れさせてくださる。命のある限り恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り生涯、そこにとどまるであろう。  (詩編 23編 1~6節)

 

1.愛読書

  私は読書が大好きで、中学時代に一番影響を受けた本は、実在した動物の生態や行動の記録に基づいた「シートンの動物記・全集」でした。聖書とは高校2年生 の時に出会い、今も読み続けています。大学時代は「内村鑑三全集」「矢内原忠雄全集」に傾倒しました。動物記、聖書、内村・矢内原全集の共通点は生きた動 物の姿、生きた神様の姿、生きた信仰者の姿とフィクションでない活きた生命です。

2.中学時代

 シートンの動物記で は代表作「狼王ロボ」の物語が強く印象に残っています。ロボ率いる狼の群れは牧場を取り巻き、軽く威嚇するだけで、羊(ヒツジ)の群れを散らし、ばらばら にして襲うのです。そこで、牧場主は羊の群れに山羊(ヤギ)を入れたところ、山羊の周りに羊はまとまり群れが散ることは防げました。するとロボは先ず山羊 を襲い、いつものように散りじりになった羊を襲ったとのことです。ロボの賢さを示す逸話としてシートンは書いていますが、なぜか私には羊の愚かさ、臆病さ が強く印象に残り、羊のようになりたくないと思いました。

3.高校時代以降

 聖書では主なる神様を羊飼い、人間(信仰者)を 羊にたとえた箇所が多くあります。高校2年生でキリスト者になってからも自分が羊にたとえられることへの抵抗感は心の底に残っていました。「狼王ロボ」の 記憶のためでしょうか。しかし、年齢を重ね人生を振り返るようになると、私は羊飼いである主なる神に導かれた羊であったと実感するようになりました。こと に、アレセイア湘南中学高等学校に赴任してからの9年間はそうです。

 詩編23編の下線を引いた部分に羊飼いが鞭を用いるとかかれていま す。私は長らくこの鞭は羊を調教する為のものと考えていました。しかしそれは大きな見当違いであることに気づきました。鞭は羊飼いが羊を襲う狼などの外敵 と戦う時の武器であり、杖は群れからはぐれ、道をはずれそうな羊を群れに引き戻す時に用いられるとのことです。

 羊は臆病で無力であるが故に信頼する羊飼いに素直に従います。無力で、愚かな自分を知り、そこに徹する事こそ、羊の生きる道です。使徒パウロの言う「弱い時こそ強い」という信仰のパラドックス(逆説)であります。

  内村鑑三氏は「学ぶべきは天然(自然とほぼ同意味?)、成すべきは労働、読むべきは聖書」と言われたといいます。私もシートンの動物記と聖書が後のキリス ト者・理科(生物)教師としての私を形づくっていったと実感します。若い日の読書が人間の基礎をつくり、人生を決めていきます。ことに聖書との出会い、生 きた神様との出会いは生涯にわたるものであると証しします。

                                                                                          学校長 飯塚正秀

前の記事 : アレセイア通信 4月(号外)
次の記事 : 立会演説会・生徒会選挙が行われました。

このページの先頭へ