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2015年4月 3日 アレセイア通信

アレセイア通信 学年末号


           「いただく」「ささげる」(卒業式講話より)

 

 卒業にあたり、一つのお話をして皆様への餞(はなむけ)としたいと思います。それは「いただく」と「ささげる」という言葉についてです。
私たちは食事のはじめに「いただきます」と言います。ふだん、食事を始めるときの挨拶のように言っている、この「いただきます」にはどんな意味が隠されて いるのでしょうか。私は以前考えてみたこともありませんでした。しかし、二十年近く前、ヘルマン・ホイベルス神父の随想集を読んでこの言葉に出会いまし た。この神父さんはドイツ人で日本語・日本文学を学び、1920(大正9)年に来日され、五十四年間にわたり上智大学で教えられ、第二代の学長を務められ ました。この方がとくに好きな素晴らしい日本語として「いただく」と「ささげる」を挙げていたのです。
 「いただき」には、ものの一番高いところ、頭(あたま)、山頂という意味があるそうです。山のてっぺんを「頂き」ということは皆さんもよく知っているこ とと思います。体のてっぺん・頭(あたま)もいただきというのは知りませんでした。ですから、御飯などの食物を目の前(頭の前)に高く持ち上げ、「感謝し て食べます」という意味で「いただきます」と言ったのが語源のようです。
 慣用として何気なく使う言葉ですが、本当に「感謝して食べます」という心を私たちが持って食事ができるならば私たちの生活はもっともっと心ゆたかなものに変わるような気がします。
 私は五十歳を過ぎた頃から、自分の人生がほとんど「いただきもの」でできていると思うようになりました。自分の生命も、頑健な体も、家庭も、職場も、社 会も、その多くが、若い時に考えていた、「自分が」とか、「自分で」でなく、「他人(ひと)が」、「先人(せんじん)が」築いてきたものを受け継ぎ、いた だいているのだと思うからです。その時期に、この「いただきます」「いただく」の意味に触れたのです。
もう一つ「ささげる」という言葉があります。この言葉は教会でよく用いられ、「いただく」と対になる言葉です。この言葉も目の前に物を高く持ち上げるとい う行為を表します。銃を高く持ち上げて兵隊さんがする敬礼を「ささげつつ」といいますが、語源は同じです。「身も心もささげて」というこのささげては「す べてを差し出す」という意味に発展しています。
 「いただく」ことはうれしいことですが、「ささげる」ことができるとさらにうれしさは深みと味わいを増すといいます。「いただきもの」は「ささげもの」にして始めて意味をもつのではないかと私は思います。
自分の人生を感謝とともに精一杯生き、その事が次代の人々や社会の為に役立つならば、「いただきもの」は「ささげもの」になり、さらに豊かな実を結んだと言えるように思います。
 ヨハネによる福音書3章16節に「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」とあります。
 神の御子キリストが私たちの罪のあがないのために「与えられた」のです。私たちにとって、最大のいただきものはイエス・キリストであります。感謝であり ます。  この上に本校の教育は立っています。皆さんは本校で平和・共生ということを多くの場面で学んできました。卒業後も「平和をつくり出す人」「真理 による真の自由に生きる人」として社会で輝いてください。
                                      学校長 飯塚正秀


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